波猫まち子の日記

気がつけば42歳。子供達はどんどん大きくなっていきます。これからの人生を見つめ直すきっかけになればと始めたブログ。

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February 26th, 2017 | 09:07

* 人生の陰と陽

人生には常に陰と陽、つまり光と影がある。世界が明るく、光に満ちて見える時、陰の部分がなくなったわけではなく、隠れて見えないだけである。逆もまた同じ。全てが暗く、澱んで見える時でも、光は常に存在している。

光とは何か。嬉しさ、やさしさ、思いやり、受容、笑顔、喜び、強い心など。暗さとは何か。悲しみ、悔しさ、妬み、エゴ、欲、怒り、傷つきやすい弱い心など。人はこれらの二つの感情の間をいつも行ったり来たりしている。

明るく快活に生きている中で、突如現れる怒りや悲しみ。それらはどうして生まれるのだろうか。どうして私たちは、いつも笑顔でいられないのか。

例えば人は人に暴力を振るう。体で、言葉で。時には何もせず、心を開かないことが暴力になることもある。問題に向き合わず、避けて通ろうとする。酒に、薬に、ギャンブルに。あるいは仕事に、浮気に。女性の多くは問題の原因は自分自身にあると思い込み、鬱になる。

人はなぜ、こういった行動を取るのだろうか。そういう方法でしか傷ついた自分自身の心を癒せないと思うからだろう。しかし、残念ながらこれらの方法は問題を助長させるばかりで、解決にはならない。

大切なのは、自分の心が本当に求めていることは何かを知ることだろう。本物のやすらぎか、一時的な癒しか。自分だけ気が楽になれば良いのか、それとも相手や家族と共に幸せになりたいか。

そして、誰も相手を変えることはできないから、自分自身の感情に責任を持つことだ。自分が確固たる態度を取ることで、少なくとも相手に影響を与えることができる。自分が受け入れられないことには自信を持って「No」と言うことも、時には絶対必要なのだ。

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December 7th, 2016 | 18:37

* ゴルフに救われた

私は、実際に鬱病になったことはないのだけど、(だから本当はその症状とはだいぶ違うのかもしれない)、鬱っぽくなることは時々あります。

それは、ちょっと普通の落ち込みとは違って、不安が強くなるというか、胸がドキドキしてくることもあります。だいたいそういう時は、首の後ろが凝り固まっています。もしかしたら鬱とは違って、パニック障害という部類に入るのかもしれない。過去3回ほど、カウンセラーに駆け込んだことがあります(夫と同居していたけど結婚はしていなかった時、Nがキンダーに入る直前の夏休み、そして去年の秋)。

今年に入ってからも、時たまそういうことはあるのだけど、自分で「あ、私なんかヤバいかも。」って気付いたら、ヨガをしたり、くだらない日本のお笑いを観たり、セルフヘルプの本などを読んだりしてやり過ごすようにしています。夫に泣きつくことも(大抵そういう時は、優しく接してくれる)。

で、今朝もそういう気分になりました。不思議なもので、昨夜はとっても気分が良くて、夫ともマジ何百日ぶりってくらい、明るく前向きな会話を15分くらいできたにも関わらず 私、躁鬱なのかな

Hを幼稚園に降ろした後、美しい紅葉を眺めながらブルースを散歩したり、雑誌をパラパラめくってみても、なんか気が晴れない。そこで、ハッとひらめい(?)た。
「ゴルフだ!!」
かの宇野千代先生も言っていたではないか。「生きることは、行動することです」

実は、ここ2~3週間、クラブに全く触れていなかった。サンクスギビングのお休みがあったりで遠ざかっていたので、行くのが億劫になってしまっていた。

「今こそ、ゴルフだ」となぜか(?)思い、ブルースを車に乗せて(Hを迎えに行く前に、幼稚園の横にあるキャニオンで散歩させるため)、練習場へ向かった。

一個一個、ボールを打ち始めると、とても心が落ち着いてくることがわかった。「なんでだろう」って考えたら、「これは、マインドフルネスではないか?!」ということ。ボールを打っている時って、ボールを打つことしか考えないんです。ゴルフのスィングって、フォームが決まってるから、ちゃんとフォーム通り打たないと飛ばない。だから、そのことに集中するから、余計なことを考えないで済む。なんて、すがすがしいの ゴルフってすごい、って改めてゴルフに感謝したくなっちゃった(笑)。

  

Hのお迎えの時間まで、車の中で手にしたのが五木寛之氏の『生きるヒント』。(車には、ちょっと空いた時間があったらいつでも読めるように、本が何冊か置いてある)まだちょっと気分はモヤモヤしていたけど読んでみた。

その中で印象に残ったのが、人が生きていくためには、健康や仕事とか色々なものが必要で、みんなそれを得るために努力しているけど、果たしてそれだけで生きていけるのか。年間の自殺者数を見ればわかるが、私たちが生きてゆくためには、たぶん「何か」が必要なのだ、ということ。

五木さんは、それが「宗教」「信念」「生きがい」というような大それたものでなくても、日常の中で小さな歓び(よろこび)の欠片を探すことが大事なんじゃないか、と書いています。(五木さんは、安いコロッケをトースターで焼いて食べることでも幸せを感じられるそうですよ

多分、鬱っぽくなる時っていうのは、自分をよろこばせることを怠っている時なんでしょうね。疲れちゃって、それどころじゃないっていうのもあるんだけど、やっぱり自分がほっこり幸せな気分になれないと、「何のために生きてるのかな」って思っちゃいますもんね。時には、誰のためでもなく、自分のためだけに何かをしてみることって大事なんだ。

自分へのいたわり、忘れないようにします(時には億劫に思えても)
  

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May 29th, 2016 | 19:31

* 17年前の夢

今日は、旧友の3番目の子ども(Hと同い年)の誕生日会に行ってきました。Gファミリーは夫婦とも夫の幼なじみ。結婚した時期も近いので、3人いるお互いの子供たちの年齢もほぼ同じ。奥さんKのお母さんは、私が最初の子(N)を妊娠した時のベビーシャワーを開いてくれました。

夫も育ったEast Countyのお宅を訪ねると、懐かしい顔がいるではありませんか。東京から引っ越してきたばかりの私たちが最初の1ヵ月寝泊りしていたのが、ここの旦那Wが当時借りていた家のリビングルーム(の床)。夫(当時はまだ結婚してなかったけど)がサンディエゴに帰ってきてすぐに買った犬(まだ数週間のゴールデンリトリーバー)、ベンも一緒でした。やはりWの家に居候していた作家志望のS、そして彼と同郷のTに久しぶりに再会しました。

Sが、大きな体を揺らしながら「元気だったかあ~?17年前の当時覚えてる?朝9時から一緒に"Win Ben Stein's Money"(テレビ番組)観てたよなあ。」そう。昼間家に居るのは私とSだけだったので、彼が好きだったこの番組を一緒に観た後、ベンの散歩するくらいしか大してやることはなかったのだ(苦笑)。「当時言ってたよね。外を散歩しながら、いつか自分の家族を持って、自分の家を持つんだって。今夢が叶って、自分が思い描いていた理想と比べてどう?同じ?それとも違う?」

そんなこと言ってたっけ?ってちょっと驚いたけど、考えてみた。住む家も少しずつ広くなり、結婚して、子供も年々増えて、気が付いたら17年か。来たばかりの頃は、彼の帰りが遅くなるだけで不安で、夜の11時に「これからボーリング行ってくる」って電話してきた彼にブチ切れてコードレス電話を思いっきり壁にぶつけて壊したり、サンドイッチに入れる具材の順番でもめたりとか喧嘩の内容も今と比べてだいぶシンプルだったな

そっか、17年前の私は早く彼に結婚してもらいたくて焦っていて(東京での会社生活を投げ打ってついて来た26歳崖っぷち女でした)、でも彼は私がこっちで本当にやっていけるかどうか時間をかけて様子をみたいって言うから、コミュニティ・カレッジに行くことにしたんだ。まあ、日本で大学を中退している私には丁度良かったんだけど。

私は多くの女性が望むように、結婚して子供を産んで家庭を作りたかった。有り難いことに、その夢は叶った。それは、自分が思い描いていたものと同じだっただろうか?そうだと思う。でも、違うこともある。想像していなかったこともある。今、これから先私が思い描く夢は何だろう。17年前、確かに私は誰かが私を幸せにしてくれると思っていた。だから焦っていたのだ。これからは、自分で努力する幸せを考えるべきなのかなと思った。

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May 19th, 2016 | 20:04

* その後(自戒も含めて)

数日前に公共の場(ここ)で怒りを発奮させ、気持ちがスッキリしたかと言えば全くそんなことはなく、相変わらずモヤモヤ、そして子供に怒鳴った後と同じで逆にズドーーンと落ちたりしています。

ブログを読んだ友達が、「波猫まちこ、どうした!?」って心配して電話をくれ、「私もあったよ~そういうこと」って話してくれたり、別の友だちは「今までそういう経験がなかっただけラッキーなのよ。私は今まで4回くらいあったわね」って話を聞いてくれたり。

私にもいろいろな点で非があったのだと思います。無いわけは無いのです。相手は私に対して良い気持ちを抱いていなかった(結果的に)わけですから。私が単にブラインドだったのです。

伊藤比呂美さんが、人生相談の回答でよくおっしゃっている「自分は自分、他人は他人」と思う考え方が人間関係の壁にぶつかった時に大切になってくる、という意味が今本当によく理解できます。私は、その法則を見事に無視して、相手のスペースにがしがし入り込み、自分が良いと思っていることを押し付け、なぜ理解できない?と感じていたのです。もちろん、すべて相手のためと思ってやっていたのですが、あっちにしてみれば有難迷惑だったのでしょう。それに対する、彼女なりのささやかな抵抗だったのかもしれません。

まあ、そんな自分のイヤーな性格を見せてもらっただけ、感謝するべきと言えるのかもしれません

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May 16th, 2016 | 09:22

* 怒りの感情

私は今、怒っている。それは、夫や家族に何か言われてムカっときた、といったそんなレベルではない。腹の底からグツグツと煮えたぎるような怒りである。

誰にでも話せる内容ではないので、海の向こうの姉に胸の内を吐露すると、「怒りは舌をベーーッと出して息を吐き出すと良いらしいよ」とアドバイスしてくれた。早速試してみた。また、いつもは積極的にやりたがらない草むしりをしながら心を落ち着かせようとしてみた。

昨日は、直接本人にメールでぶつけてみることもした。しかし幸か不幸か、間違って自分宛に送っていて本人には届いていなかった。「やはりこれは送るべきではないってことかな」と再送はしなかった。

ざっくり言うと、信頼していた友だちが私の知らないところで、私のことを良く言っていなかったということ。しかも、私の前では一切その素振りを見せたことはなかったのに。私はかなりその人のことを信頼して、普通の友達だち以上に気にかけて色々してきただけに、そのショックは大きく、故に腹の底から怒っているわけです。

その人が周りに言っていたこと、それは多分事実も多いと思います。至らない部分はたくさんありますから。でも、もし聞いた人がその事実だけを散々聞かされたら、私はただの悪人です。幸い、話を聞かされていた人たちは私とは長い付き合いで信頼し合っている仲なので、何かおかしい、と気づいてくれたのですが。

元々その人とはそれほど親しい付き合いではありませんでした。でもきっかけがあり、「袖振り合うも多生の縁」と思って関ってきたのです。

もし相手に対して、強く思っていることがあったら直接言うべきだし、もし言えないんだったら友だちのフリなどするべきではないと思います。

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